2013.1

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。     
先日、スタッフにした話が思いのほか受けたので、新年1回目はそれについて記します。                                     週の半分は、仕事の関係上、ある程度決まったカフェのようなお店で昼食を慌ただしく済ませる。30分程度の間に、搔き込んで食べ、要件の電話やメール、仕事の資料の確認をしたりするときもある。     
この間に何度か「おさげしてよろしいですか?」と店員が来る。その度に、今やっていることの中断を余儀なくされる。              
 「食器を下げてほしいときは、こちらから言うから話しかけないで。そんなに長居しないので、退席してから一度に片づけたほうが、あなたも効率よく片付くでしょ」と言うことがある。そして少し機嫌が良くないときは(笑)、「マニュアル通り動かない。客をよく見て考えて動き」と付け加える。                                  
きっと私はそのお店で名物おばさんだと思う。お店が満席で回転率をあげるため、食器を速やかに下げるのは賢明であるが、前述した状況は周囲には空席があり、待ち客はいない。                  
店員は、客の様子を見ずに空いた食器ばかりをみている。「おさげしてよろしいですか?」と極まり文句で、マニュアル通りに動くのが正しいサービスと思っている。                                 運動指導場面も、同じようなことはないだろうか?マニュアル化した言葉で昏々と進め、肝心の参加者の様子を見ていない。マニュアルは、サービス内容の一定化のために必要だが、マニュアル通りに進めることで指導した気になっていないだろうか?外してはいけないことは、その運動内容の目標やねらいであり、そのためのフレームワーク(思考・分析の枠組)である。それらがわかっていないと想定外のことは対処できないのである。                     今回、プチ元気kai!で招へいする藪下先生、そして当協会スタッフ仲宗根が担当する「体力測定」関連の講座は、マニュアルには記載さえていない

2013.3

先日、日本健康運動指導士会とNSCAジャパンの合同学術大会で・・・


先日、日本健康運動指導士会とNSCAジャパンの合同学術大会で京都大学大学院教授である森谷敏夫先生の基調講演に出席した。                
印象深い話をいくつかご紹介したい。 1つめは、100歳でもスキーを楽しまれていたプロスキーヤー故三浦敬三さんについてである。ご存命の時、一流大学の数々の運動生理学的研究に被検者としてご協力をされた。その結果、なんと下肢の骨密度は50歳!しかし、手首の骨密度は90歳と年相応だったそうだ。「もう歳だから…」と 身体機能の低下を老化のせいにするが、主たる理由は「身体を使わない」ことである。身体をしっかり動かすことで、老化を遅延させ、若さは維持できるのである。
                                 
2つめは、活性酸素についてである。筋トレや持久力トレーニング中に発生する活性酸素は、筋のトレーニング適応の刺激になるとの報告がある(Daviesら)。そしてその他の研究(Irrcherら)では、抗酸化サプリメントは、ヒト骨格筋の重要なトレーニング適応を抑制、または遅延するとある。なんと一般的に嫌われ者の活性酸素は、動くためのエネルギーを促進する。よって抗酸化サプリメント等のビタミンC・Eは、トレーニング前・中はとらない方が良いとのこと。しかし、脆弱な高齢者の場合は、別とのこと。骨格筋が慢性的な炎症状態で、ずっと活性酸素が発生しているので、ビタミンC・Eを動く前にとったほうが良いとのこと。                                               
最後3つめは、医学部には栄養学の講座がほとんどないとのこと。信じられない事実である。医食同源と言われるのに…。               
これら以上にたくさんの難しい最先端の話を実に楽しくボディランゲージをつけてご講演をしてくださった森谷先生。笑いが絶えないお話ぶりだったが、何よりも崇高な探究心と運動効果の伝道への強い意志に胸を打たれた。                                 極めている一流の人の息吹に触れることは、自分のエネルギーになる。そして超高齢社会の今、高齢者の健康寿命に関する科学的根拠が日々、明らかにされている。世俗的な情報に流されず、常に本物から学びたいと再確認した。

2013.5

人生80年代から100年代となるのもそう遠くはなさそうだ。


人生80年代から100年代となるのもそう遠くはなさそうだ。100歳の自分を想像できますか?「医療の進歩のお陰で、死にたくても死ねない」。これ、私の父の言葉である。                                                                               介護はきりがないと思う。自分のことだったら「まっ、いいかぁ」で妥協できるが、介護者が「まっ、いいかぁ」で済ませると罪悪感にさいなまれるように思う。                                                                                          親のことになると、ついつい厳しく対応してしまうことが少なくない。これが仕事であれば、温かく見守れるはずなのに。しかし、被介護者の親は、思い通りに行かない自分自身の心身や現状をもっと情けなく感じているだろうと考えると、ますます自己嫌悪のドツボにはまる。                                                      医療の方向性は今後はどうあるべきか。いろんなことが研究され、もっと人間は長生きするのか?病気は治癒された方がいいが、老化の抑制はできない。                                                                                          人間らしさとは、まさしくWHOの健康の定義、肉体的・精神的・社会的に満たされている状態だと思う。それが崩れてくると生きることは本当にしんどいだろうと思う。                                                                                    運動は軽視されがちだが、超高齢社会を生き抜いていかなければいけない日本には必須だと改めて言いたい。どのようにしたら、運動大好きマニア以外の「本当に運動が必要な脆弱な人」に運動を広く深く啓発できるのだろう。アメリカのある保険会社は、指定の運動器具を使用し、健康づくりに取り組むと自助努力ということで、保険料が安くなるらしい。お金で得になる話は、姑息だが、影響は大きい。日本の特定保健指導のようにペナルティ的ではなく、努力した人にはご褒美をさしあげる。わかりやすく良いのではないか。                                            先日、介護予防主任研修で、長寿や疾病予防等に関する運動の効果は必ずしも明確でなく、それらの話題は高齢者への説得力に欠ける。運動で身体機能を維持しないとズバリ「寝たきりになる」と少々の脅しが時に必要だとおっしゃっていた。人生のクライマックスを寝たきりで長い間過ごすか、それとも大半が元気な期間か?終わりよければすべて良しと言って過言でない位、終末期の過ごし方は人生の集大成を左右する。                           これからの人間は100歳まで生きるということを前提に、ゆりかごから墓場までの発想で、「幼少時からの介護予防」、つまり運動の習慣化の重要性を説くことも必須ではないかと思っている。                                                                   手段として、最初は脅しではじまったとしても、エイジズム(Ageism;老人であるという理由によって、老人を類型化し、差別すること全般をさす)を取り除くように伝えていくことをしていきたい。
アンチエイジングというよりも、高齢期をいかに充実させるか、例えば“ビューティフル・エイジング” 的な思想で、ポジティブに伝えていく手腕が、今後、介護予防運動を専門とする我々に求められる課題だと思う。いろいろと課題が山積みだが、まずは両親のビューティフル・エイジングに貢献できるよう頑張らねばと自分に檄を飛ばし、この記を締める。       

2013.7

古いものと新しいもの、どちらが清潔か?大部分の人が新しいものと答えるのはないだろうか。


古いものと新しいもの、どちらが清潔か?大部分の人が新しいものと答えるのはないだろうか。
新しいものが清潔とは限らない。ただ不潔が目立ちにくいのであろう。古いものであっても清潔に保たれているものもある。しかし、清潔に見えにくいことがある。
高齢者も同じように扱われることが少なくない。自身も、また高齢者の持ち物や住居も同様である。
今は、物があふれかえっているが、昔はそうではない。物がないから、あるもので工夫をして、生活の道具にしていたと思う。そのほとんどが、廃品同様の物で、創作したのではないだろうか。それらは一見不潔に見えても、清潔かつ機能的で、高齢者のADL・QOLの維持、向上には大事な役目を果たしているはずである。出来合いのものを使用するよりもよほど知的活動である。
古い・年老いてるが故に、汚いという「エイジズム(Ageism);老人であるという理由によって、老人を類型化し、差別すること全般をさす」を高齢者の健康や生活に携わる職業従事者や家族は、正しく理解し、若い世代や高齢者に偏見がある人に伝えていただきたい。

2013.9

10年目を迎える定例フォーラム「元気kai!」が、9月8日に無事、終了した。


10年目を迎える定例フォーラム「元気kai!」が、9月8日に無事、終了した。今年も全国から大勢の参加をいただいた。元気kai!が終わると、しばらく自分が空っぽになると同時に、また新たな1年がスタートする。
この10年、毎年違う内容の講座で、高齢者・低体力者対象のエクササイズや指導法の提案をしてきた。毎年6月位から交感神経が優位になり、開催前月のお盆あたりは、プチ鬱状態である(笑)。頭の中は講座の構想で、ぐるぐるいっぱいになる。毎年“来年こそ、講師担当は辞めさせてもらおう。”と企む。宮崎駿監督の気持ちがわかると言えば、大それた例えだが、それ位、必死で準備をし全部出し切る。
しかし、「元気kai!」や1億人元気運動協会を発足したお陰でやりっ放しではなく、自分の現場指導の指針をまとめ、ある程度の形にできた。組織の一員としての使命感と責任は、人を成長させてくれる。時に自分の実力・根性以上のものを引き出してくれる。ひとりでできることは限られている、ひとりだったら大したことはできなかっただろうと毎年、この時期に教えられる。

先日、産経新聞の産経抄に『今さら、フェイスブックで友達100人もいらない。顔も知らない友達の反応を気にするより、少数でも本物の友達と実際に会って正直な意見を聞く方が自分には大切…』というコメントがあった。
私もまったく同意見である。元気kai!では、参加者は互いを認識し、互いのスキルアップを真摯に受け止め、切磋琢磨しているように感じる。ここに毎年、リピーターが増える理由があると思う。皆、自分を成長させるものは、何なのか知っているのである。成長は甘くはない、本音が必要である。互いの成長を支える仲間がいる限り、1億人元気運動協会は元気kai!を開催し続けたいと思う。
大きく深呼吸をして、また来年に向けて新しいスタートを切る決心をする(笑)。

2013.11

人間は、常に成長の欲求がある。マズローは「5段階欲求説」として、・・・


人間は、常に成長の欲求がある。マズローは「5段階欲求説」として、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自我欲求、自己実現欲求を説いている。生理的欲求とは、人間の下位欲求に値する「食欲、睡眠、排泄」である。これができなければ死に至るため最低限確保したい欲求となる。例えば、「今までトイレで排泄できていたのに、脚が不自由なため、ポータブルトイレで対応しましょう」とする。周囲の者は、ポータブルトイレまでなら歩く必要なないと生理的欲求を確保し一件落着のつもりが、本人にとっては、欲求の満足度は不十分であり、今まで当たり前にできていたことができなくなったがための代償行為なのである。
「しんどい人は座ったままでいいですよ」「できる範囲でやりましょう」「○○さんはこの高さでやりましょうね」などと、指導者として配慮らしきことを言うが、裏を返せば高齢者・低体力者の欲求のストレスを増しているかもしれない。
自分が高齢者・低体力者の立場に立って考えれば、どのように伝えれば良いかわかることである。我々、運動指導者は、大抵が高齢者・低体力者より若く、心身条件が同じではない。
最近は、運動指導者は相手を思いやり共鳴する心、そして指導者ではなく、参加者を承認し伴に運動を楽しむ支援者としての姿勢、つまり指導スキルではなく、「人柄」が何より一番大切ではないかと日ごと、その気持ちは大きくなる。

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